そしてオープン。連載5

約1年続いたお金の問題も何とかめどが付き、ついに開店準備です。
この時点でドライバーの仕事もすでに4年を迎えようとしてました。
夏は暑くて嫌なので涼しくなった秋から作業開始が良いなーと思ってました。
その楽な目論見にバチが当たったのか、引き渡しが7月で作業開始が8月という最悪のタイミングになってしまいました。
灼熱の中作業するのは集中力も続かないので試練です。
でも頑張りました。
何せほとんどは自作なので。
しかも一人で。
訳あって、新築ですがまずは大胆な解体から。
外屋根を作り、壁をぶち抜き、床をはがし。
各種工具が総動員です。
大変な大仕事ですがめったにあることではないので、楽しんで作業しました。
そして水槽を並べ、配管して、棚を作り、水を作り。
開店日は決めず、出来次第と言う事で。

そう言えば閉店からの今回の計画で4つの目標がありました。
まずちゃんと閉店する。
辞めるからって無責任にしない。
お金のことはもちろん、各所に説明もしました。
お客さんにも責任をもって説明しました。
立つ鳥跡を濁さず。またやるし。
3か月前から公表して閉店するって珍しいと思います。
2つ目はドライバーの仕事を無事故で全うし、惜しまれつつ辞める。
期間限定だからって無責任にはしたくない。本気で取り組みました。
「惜しまれつつ」と言うところがポイントです。
辞めること自体は迷惑はかけたと思いますが、円満退社で終われたと思います。
そしてこれが一番大変。3つ目。
また一からの開店。何の保証もない中本当にできるのか。
でも絶対なんで。
そして4つ目。
開店した店を軌道に乗せ、あの閉店前の日常に戻すこと。
この4年のことが昼寝中の夢だったんじゃ?
そうなってやっとこの計画は終了、成功、となります。
おおむね達成できたと思います。

今回で学んだことは、やればできる、やらなきゃわからないと言う事。
あと、どんな状況にも人は慣れると言う事。
そして良くも悪くもたった4年では何も変わらないと言う事。
ただ良い経験ができたと言う事は間違いないです。

もうこんなことはしない。かどうかは分かりません。
永い人生何が起こるか分かりませんから。
差し当たってその予定はないので、淡々とこの店を守って行こうと思います。





福袋やってます

うちは小型店なのでセールみたいなことはやりません。
過去にはやったこともあるんですが、あまりにも反響が無くみじめなのでもうやめました。
ただ、年明けに福袋だけは唯一そんなイベントとしてやってます。
これは20年前の創業当時から続いてます。
かなりお得で大赤字なんですが、毎年期待されてるのでもはや止められません。
最近はやけになっていて、大盤振る舞いも良い所です。
まあ、お祭りなので良いでしょう。
最近、世間では中身のわかる福袋が流行りです。
でもあれって福袋って言うんですかね?
ただのセット販売じゃないですか。粋じゃない。
本来はお店側とお客さん側、双方に縁起物の粋で成り立ってるイベントだと思います。
たくさん売れてももうけはないので別に売れ残ってもいいんですが、でもやはりいい感じで売れていくと気分がいいです。
願掛けを意識したことはないですが、今年の景気の占いみたいな所はあるかもしれません。
こころいき、の乗りが福袋の正しい在り方かと思います。
今年はもう終わったので興味ある方は占いのためにも来年どうですか。

伝説の大ナマズ

ピライーバと言う南米産大ナマズの幼魚が入荷しました。
最大、なんと3メートル。
アマゾンを代表する伝説の大型ナマズです。
その昔は大型魚飼育がもっと盛んでした。
ゼブラキャットが初めて発見された頃、それはそれは熱中しました。
いつかアマゾンでナマズ釣りをしたいと夢見たもんです。
そんな時代を過ごしてきた僕は、これらのナマズ達には思い入れが深いです。
最近は小規模飼育が流行りなので、こんな大型魚を在庫してる店は少ないと思います。
でもこんな、時代に反した思考でも共感してくれる人はいるはずです。
経営と趣味の両立を心がけています。
ちなみに今他に、ドラード、レッドテール、タイガーシャベル、セルフィン、シャベルノーズ他
と、このナマズのラインナップはなかなかだと思います。
当時のあの夢のナマズ達がこんなに手軽に手に入るなんて。
良い時代とも言い切れない気もします・・・。

しかし大型魚好きな僕としては、今の在庫の規模では不満なんです。
前の店の時にあった大水槽。まだあきらめてません。
出来ればスケールアップして再建造を狙ってます。
その時にはこれらの大ナマズと、そして主役のピラルク。
それが完成するまではまだまだ未完成です。
奴らと向き合うには体力と財力と気力が必要なので、その準備を心がけようと思います。

文章への思い

毎月書いているこのコラムは前の店からずっとコツコツ続けているものです。
この度その過去の分も見れるようにしてみました。
約20年分あるので膨大な量です。
時代背景とともに暇つぶしに読んでみてください。
自分でもたまに読み返してみてます。
こんなことあったな~とか、この時こう思ってたな~とか。
そして読み返して思うのは、なんか同じ話が何度も登場してるなって。
ま、その話題になると自然とそこに行きつくみたいなとこはあるんですが。

魚の話だけではなく、世の中に思うことや日々の出来事など。
コラムと言うニュアンスをなるべく守るようにしてます。
コアなファンもいてくれてたまに反響をいただく事もあります。
恥ずかしい気もしますが、正直とてもうれしいです。
月一とは言え結構プレッシャーで、その時になるとそわそわします。
締め切りに追われた作家の気持ちをわずかに感じてます。
良いネタがある月は進みも早く、逆の時は絞り出して。
毎月それなりにこだわって時間をかけて書いてます。
何気に一番気を付けてるのは、誤字脱字。
当たり前のようで実は大変なんです。
あと、過去の作品は手直しはしないようにしてます。
一度公開したものはもうそのまま。
ちょっと取り消したい部分とかあってもそれも思い出です。
なのでよく吟味して完成させてます。
と、まあ以前のコラムにもこんなことを一度書いた気がしますが・・・。



ラジオ出演

先日、ラジオの生放送に出演しました。
番組中の中継コーナーにほんの少しお店を紹介してもらっただけですが。
実はヘビーリスナーであるニッポン放送にです。
若い頃から何かとニッポン放送と縁があり聞き続けています。
最近はラジオを聴く人は少ないと思いますが聞くとはまるんです。
当店の店内でもラジオがBGMです。
熱帯魚屋でしかもFMでなくAMを流してるのは少し変わった雰囲気だと思いますが。
時に笑いすぎて仕事にならない時もあります。
当日はほんのちょっとの出演ですが、あがり症の僕はとても緊張しました。
生放送でディレクターさんに「はいそろそろですよ」なんて言われて、口から心臓が出そうとはまさにこの事かと。
一応台本があり、フリートークもありあっという間でしたが何とか済みました。
聞き直してみると、可もなく不可もなく、まあこんなもんだろう。
と言う出来でした。
中継直後に、近所で作業中に聞いてたと言うおばちゃんが駆け込んできました。
中継車もいるし、かなりテンション上がってました。
僕も逆の立場ならそうなります。
が、実際どれ程の人に届いているのか。
とてもニッチな世界のようです。
ま、その辺の密室的なところがラジオの魅力でもありますが。
ニッポン放送に永年の恩返しが出来たようで、良い経験をさせてもらいました。

リポーターのお二人と。

世界一有名なハナオコゼ

先日、古くからの知り合いの問屋に行ってきました。
ちょっと遠いので直接会うのはかなり久しぶりです。
そこは問屋と言うより水族館関係の業者です。
世界中の水族館を相手にかなり有名な会社です。
海をテーマにしたコメンテーターとしてテレビにもよく出ています。
仕入れを兼ねて遊びに行ったようなもんです。
中に入ると、何やら外人さんたちが機材を並べて撮影をしていました。
聞くと、あのナショナルジオグラフィックだと言います。
ナショジオと言えばおそらく世界一の映像機関だと思います。
それがこの日本のここに撮影に来ていたんです。
そこに偶然出くわしたんです。
そしてここからがすごい。
良さそうなハナオコゼがいたので仕入れました。
パッキング前にナショジオが撮影を始めたんです。
と言う事は、このハナオコゼがナショジオの番組に使われる?
かどうかは分かりませんがその可能性があると言う事です。
となるとこいつはただのハナオコゼでは無くなりますね。
世界配信の有名人です。
しかし偶然とは言え貴重な場面に立ち会えました。


戻るぜよ。連載4

当初から決めてました。
4月から行動を始める。
それまではあえて一切何もしない。と。
夏までに場所が決まり、準備して冬前にはオープン。
そんな計画でいました。
ちなみに熱帯魚屋は一番売れる夏前にオープンするのが常識です。
ですが僕の信念で物事はすべて逆、というものがあります。
夏が売れるとしたら練習を兼ねて冬を過ごし次の夏を迎える。
やっぱり冬にオープンした方が正しいと思い立ちました。
これはある意味2回目の余裕でしょうか。

4月になったとたんにスイッチを入れて始動です。
この3年間ずっと「戻るぜよ!」(ドラマ「仁」の)が聞こえていました。
1からやる、がテーマなので今まで1度も付き合いがない不動産屋に飛び込みました。
事業のイメージを伝えて物件を探してもらいました。
安い物件、出来れば買いたい、無理なら賃貸。
買うって言ってもそんな事できるのか。
もちろん借金です。どっちにしろまずは場所。
どこでも良い。という訳でもない。
理想はある。でも完璧には行かない。
期限に追われながら金の悩みを抱え、でも譲れないこともある。
この時点ではドライバーの仕事も継続中です。
悩みが多すぎて眠れない。
でも、今はドライバーの仕事が優先です。
事故でも起こしたら元も子もないです。

あの頃を思い出すと、吐きそうになります。
よくあのプレッシャーに耐えたなと未だに思います。
我ながらほめてあげたいです。
詳しくは言えませんが、実は反則ぎりぎりの作戦で期限もぎりぎりで。
お金のめどがつく前に、もう工事が始まっちゃったんです。
いろんな人にお世話になり、ドラマのような作戦会議もしました。
努力は必ず報われるとただ信じ。でもだめかもしれない。
暗闇の中を歩き続け少しづつ雲が晴れて行きやっと明かりが見えてきました。
この時点でもう次の春を迎えていました。
大きな問題もおおむね解決しやっと本格的な開店作業と言う事になります。
とは言えここからまた次々と問題が起こるのです。  
続く。


魚との立ち合い

魚が売れる時、網で魚をすくいます。
大型の魚は直接袋で取り上げたりします。
そういうのをパッキングと言います。
お客さんから、取るのがうまいとよく言われます。
仕事で毎日やってますから、と答えてますが多分本当はうまいんだと思います。
一人なので比べる対象がいないのが残念ですが、自信はあります。
とは言え競うものではないので目的に応じてこなしてるだけです。
魚に負担をかけないよう素早く、時に無理せず的確に済ますのが目的です。
技術もありますが実は心です。心理戦です。
魚の気持ちを読むんです。
騙し合いか信頼関係のはざまです。
野性の魚を捕まえる時は完全に騙し合いの駆け引きです。
魚によってはこっちが網を持ってるか無いかでも警戒心が変わる程です。
その辺を理解してないで、なめてかかると魚は捕まえられません。
向こうからしたら命がけなので、まさに侍の兵法の世界です。
刀を抜く、抜かない。意表を突く。真っ向勝負。
宮本武蔵の五輪書の様な物が出来上がりそうです。
以前に小舟で海に出てブリの子と手アミ一本で勝負したことがあります。
奴は逃げれば良いものを何を思ったか真正面を向いて挑んできました。
一瞬の切り合いの果てに、奴はこちらの手の内に収まってました。
こうしてまた修行の道を進むのでした。




地産地消

店に桑の木が一本あります。
以前から何か実がなる木が欲しいなと思っていたんです。
どうせならちょっと珍しくて食べられて手間がかからず・・・。
と思って桑の木がいいなと考えていました。
そんな時、運よく知り合いからいただきました。
春先にやって来た時は葉っぱ一枚もないただの枝のような状態でした。
そこからみるみる葉が出て気付けばたくさんの実を付けています。
真っ黒く熟すのを待って早くも収穫です。
特別おいしいわけではないですが、でも好きなんです。
子供の頃、学校帰りによくみんなで競うように採って食べたもんです。
味以前にとにかく栄養があるらしいです。
収穫した実は動物たちと分けながらいただきます。
リクガメとトカゲ達には葉っぱも実も与えます。
最初は地味に食べていましたが、のちに飛びついて来るほどになりました。
一年目にして大成功の自給自足でした。

ピラルク輸送大作戦 連載3

前の店の閉店時のピラルク輸送についてお話ししたいと思います。
前の店にはコンクリート製で前面に分厚いアクリルをはめた特大水槽がありました。
半端な大水槽では嫌なので、水族館を意識しました。
水量3トンです。
小さな個人店でこんなのがあるのは他にないと思います。
そして男のロマン、憧れのピラルクを入れるのが目的でした。
130cmのモンスターでしたが実際はまだ子供です。

閉店にあたってこの子の行く末が一番問題でした。
良い個体なのでこっちから水族館に売りかけるという挑戦。
タイミングよく話が進み、輸送が決まりました。
そして輸送成功が支払いの条件でした。
このサイズのピラルクの輸送は業者レベルです。
活魚トラックが必要ですが、もちろんそんな物はありません。
考えた結果、丈夫なネットに入れ水を少し張り・・・と画期的な作戦を思いつきました。
それを自家用のミニバンで。
行先はピラルクで有名な栃木県のなかがわ水遊園です。
ここに搬入できるというのはこちらとしても名誉なことです。
約100キロの長旅です。
朝7時に約束したので深夜3時出発です。
前の日から3時間程かけて水を抜いておき胴長を履いて直接捕まえます。
暴れさせないよう静かに捕獲して何とか積み込み完了。
車内でも暴れたら大ごとなのでゆっくりゆっくり行きます。
水を揺らさない運転って意外と難しいんです。
そして予定通り到着。
飼育員数名が準備していました。
ここからはお任せで無事に任務完了しました。
いちアクアショップでありながらこんな大型施設とやり取り出来たことが本当に名誉でした。
15年のご褒美として仕事冥利に尽きる経験でした。